賀茂御祖神社は「承和十五年紀」に「去天平勝宝二年一二月一四日、奉充御戸代田一町、自爾以降、末被奉加」と記されているのが賀茂御祖神社の存在年時を示す最も古い確実な史料であり、通称下賀茂神社と呼ばれ、タマヨリヒメノミコト・カモタケツヌミノミコトを祭神とする。
造営は、奈良時代後半と推定される。平安時代にはいると賀茂御祖神社は、賀茂別雷神社とともに皇城鎮護の神として崇敬された。鎌倉時代には全国に60以上の荘園を持つ大きな勢力であった。例祭は葵祭(賀茂祭)として平安時代から有名である。
このような賀茂御祖神社の歴史的意義にかんがみ、これを史跡に指定する。