S44-12-008賀茂別雷神社境内.txt: 一般に上賀茂社、上社といわれ、別雷神をまつる。もと鴨川と高野川のうるおう葛野の地に居を構えた賀茂[[県主]あがたぬし]の県の神社であったが、古代国家の成立によって、強力な地方大社に発展したものと思われ、賀茂祭りは京中の盛大な行事となり、平安京においては、皇城鎮護の神として崇敬され、名神大社とされた。賀茂斎主の任命など、朝廷との交渉も深く、中世に至ると、多くの荘園を擁し、また豊臣・徳川氏とも2572石の所領を与えて保護した。
寛延4年の古図によれば、旧境内は、南は旧藤ノ木通り、北は貴船の谷、東は深泥池西の鞍馬道、西は鴨川で限られる広大な地域にわたったが、現在は、境内の中枢部と、磐座である神山を中心とする地に縮少された。
また境内地の南には、社家町が形成されていたが、社家として江戸時代の姿を残すのは、いわゆる神主7家のうち、梅辻家と岡本家、社司の井関家、氏人の山本家と岩佐家、藤木兵庫家であり、またその西部においては、ほぼ境内地と社家町の間を流れる明神川と、それに接する築地に昔の面影をとどめている。
よって、賀茂別雷神社境内地以下、上記にのべた諸地域・諸家を指定する。