西大寺は、すでに鎌倉時代において伽藍の配置が変えられ、現在民家が櫛比して旧境内をおかし、右京一条三四坊にありとされた旧観を失っていて、わずかに現本堂前の東塔跡等に奈良時代の面影をしのぶのみであったが、最近の発掘調査の結果、東塔は当初八角形の基壇であったこと、またこれに対して同じく平面八角形の西塔の跡が確認され、漸く旧規模を明らかにする端緒をつかんだところでなお未解決の問題が多い。
指定は差し当り、現境内を主とするが、左の部分からなる。
一、現在の伽藍地区なおこれに西塔跡の西端部が埋蔵されていると認められる民有地を加える。
二、叡尊等の墓地(奥の院)
三、称徳天皇御山荘と伝える地(池と中島とがある。)