巨勢山古墳群は、奈良盆地の南部、巨勢山丘陵を中心とした東西3.3km、南北3. 5kmの範囲に分布する、5世紀中葉から6世紀後葉頃に築造された約700基を数 える我が国最大規模の群集墳である。山塊から派生する尾根上に、10基程度からな る支群が多数展開している。大半は直径約10mから20m程度の小規模な円墳であ るが、全長40m前後の前方後円墳3基や、直径30m程度の円墳、一辺10mから 20mほどの方墳も確認している。
土取り等の開発の進行に伴って古墳群の破壊が進んだため、昭和49年度以降、奈 良県立橿原考古学研究所と御所市教育委員会が、丘陵の西部、南部の支群を中心にし て約90基の古墳の調査を行った。また、昭和58年には詳細な分布調査を実施して いる。古墳群の約2割は開発のため消滅し、指定予定地内には約300基が所在する。
本古墳群は大規模な群集墳であり、支群ごとに埋葬施設、副葬品に特徴がある。丘 陵最高部に所在する支群の前方後円墳は6世紀中葉の築造で、主体部は木棺直葬であ る。葺石、埴輪等の施設は認められず、副葬品は概して少ない。また、北西部の室地 区では、従来2基の円墳とされてきたものが前方後円墳であることが判明し、これは 5世紀後葉の築造である。主体部は木棺直葬と見られる。隣接する円墳は横穴式石室 を持ち、6世紀後葉の築造である。なお、既に破壊されてしまったが、丘陵北西部の 境谷支群では、5世紀中葉から6世紀前半までの木棺直葬の埋葬施設とともに、6世 紀初頭から前半に築造した横穴式石室を確認しており、これは奈良盆地でも初期の例 である。
副葬品には武器、馬具、装飾品、土器などがあるが、金銅製歩搖付飾金具、鉄製鍛 冶具、ミニチュア竈セットが特筆され、紀ノ川流域や朝鮮半島との関係もうかがわれ る。
巨勢山古墳群は、約700基を数える大規模な群集墳である。古墳群はいくつもの 支群によって構成され、それぞれ特徴的な埋葬施設や副葬品を持つ。前方後円墳は、 5世紀にこの地域に勢力を張った葛城氏の末裔が営んだものとも考えられるが、その 他の古墳は、埋葬施設、副葬品の多様さが示すように、多様な集団が築造したことが 推定できる。その背景には、強力な勢力の存在も想定できよう。この様に、本古墳群 は当時の政治動向を示すとともに、奈良盆地南部の古墳時代中期から後期における集 団の動向を探る上で重要である。よって、史跡に指定し保護を図ろうとするものであ る。