宗存版木活字は、江戸時代前期に伊勢常明寺の天台僧宗存の発願<ほつがん>によって行われた、一切経<いっさいきょう>の出版事業(宗存版)に用いられた活字である。近年まで、大津市坂本に所在する慈眼堂<じげんどう>境内の土蔵に納められていたが、平成2年(1990)から延暦寺と滋賀県教育委員会によって整理と調査が行われ、その全貌が明らかになった。
木活字は、未使用のものを含め15万箇以上に及ぶが、うち約14万箇が経典本文用の活字である。その他、頭注<とうちゅう>用のやや小型の活字、割注<わりちゅう>や版心<はんしん>に使われる幅の狭い活字、大型の梵字活字、「般若波羅蜜多」のような連続活字などがある。これらのうち、「某甲」「云々」といった2字合字の活字、注釈用の陰刻活字、梵字活字の一部は、現存する宗存版刊本の文字と一致し、宗存版の活字であることの証拠となっている。材は多くがサクラであるが、一部カバノキ・ブナなどを用いる。活字の中には、彫字面<ちょうじめん>や底面に墨書や白書のあるもの、底面に紙片を貼ったもの、両面に文字を彫ったものなどがあり、活字作成や印刷工程を研究する上に貴重な情報が含まれている。
付属品には罫線材・字間材・行間材・板木等がある。罫線材は匡郭<きょうかく>や科文<かもん>の線などに使用されるもので、直線の他にカギ形、コの字形の材も見られる。字間材は、印刷時に本文活字の間に配置して、字間を調整する木片で、宗存版では字間材によって1行14字とした版本がある。行間材は同様に行間を調整する棒状の材で、これも該当する版本が確認される。
宗存の履歴は明らかでないが、現存する経典の刊記等によれば、慶長17年(1612)に一切経開板を発願して勧進状を作成し、翌18年に京都の北野経王堂を拠点に、事業に着手した。現在、宗存版の刊本は140種が確認されているが、その刊行年は慶長18年から寛永元年(1624)に及んでいる。
江戸時代前期には、活字印刷による出版が盛んに行われた。そのうち、徳川家康が主導した伏見版<ふしみばん>(平成4年6月22日付指定)および駿河版<するがばん>(昭和37年6月21日付指定)の活字はすでに重要文化財に指定されている。宗存版木活字は、これら最初期の出版に続く、古活字版の印刷に用いられたもので、ともに伝来した付属品を含め、わが国印刷文化史上に価値が高い。