天海版木活字は、寛永寺開山天海【てんかい】(?~一六四三)の発願による一切経【いっさいきょう】(天海版一切経)の刊行に用いられた活字である。天海は一切経刊行を企て、将軍徳川家光の援助を受け刊行を開始した。底本は川越喜多院所蔵の南宋思渓版【なんそうしけいばん】で、現存する一切経の刊記によれば、刊行は寛永十四年(一六三七)から順次行われ、全巻の完成は天海没後の慶安元年(一六四八)であった。
天海版一切経の刊行に用いられた活字が寛永寺に収蔵されていることは、古くから知られていたが、本格的な調査は近年のことであり、東京都、台東区、寛永寺による基礎的調査を経て、平成十年度から十三年度にわたる科学研究費補助金による研究で、その全貌が明らかになった。
木活字は保存状況から、部首別に分類して箪笥に納められたものと、大型の箱に一括して納められたものに大別される。材は多くはサクラであるが、一部カバノキを交える。総数二六万箇以上に及ぶが、うち二二万箇余りが経典本文用の活字である。その他音義【おんぎ】等の割書や版心【はんしん】の柱題【はしらだい】や紙数表示に用いられる半角活字、複数の文字を連ねた連続活字、詰め物として用いられた未彫成の活字等からなる。連続活字の中には天海版の刊記にある「(家【いえ】)光公吉祥如意【みつこうきっしょうにょい】」「征夷大将軍」といった活字が含まれており、この活字が天海版のものであることの証左となっている。天保四年(一八三三)には一切経の一部を再版しており、その際に新造された彫法の異なるとみられる活字少数を含む。
近世初期に盛行した活字印刷による出版(古活字版【こかつじばん】)に関連する文化財としては、伏見【ふしみ】版木活字、駿河【するが】版活字、宗存【しゅうぞん】版木活字がすでに重要文化財に指定されているが、天海版一切経は古活字版の最後を飾る大事業であり、わが国において初めて刊行された一切経としても意義が深い。寛永寺に伝来した本活字は、その印刷の実態と技術の水準を示す遺品として歴史的・学術的価値が高い。