二塚古墳 ふたづかこふん

史跡 古墳

  • 奈良県
  • 葛城市寺口
  • 指定年月日:19781227
    管理団体名:葛城市(昭55・2・29)
  • 史跡名勝天然記念物

S53-12-030[[二塚古墳]ふたづかこふん].txt: 葛城連峯の東麓、眺望ゆたかな高地に、斜面を利用して築かれた北向きの前方後円墳である。墳丘は山麓斜面の高みを掘削して墳丘の側縁を作り出す特異な構築法をとる。このため、周濠は墳丘の東は深く、西は浅く、前後はその間の高みという3段濠となっている。墳丘は全長60メートル、後円部の径36メートル、前方部幅41メートル、前方部・後円部ともに高さ10メートルで、前方部の発達した墳形をもち、東くびれ部では顕著ではないが西くびれ部には明確な造り出しが指摘され、前方部に葺石をみる。昭和33年橿原考古学研究所が発掘調査し内容を明らかにした。
 内部主体は3基の横穴式石室である。後円部の後方に開口する石室は両袖式横穴式石室であり、全長16.4メートルをはかり、本古墳の本来の石室である。前方部西側くびれ部の西南方に開口する石室は、片袖式横穴式石室である。全長9メートルの石室で、石室床面を敷石し組合式石棺が見られた。造出部にあって南東に開口する石室は、羨道の床面が高く玄室の床面を深くした特異な片袖式横穴式石室であり、全長7.8メートルをはかる。玄室は花崗岩の自然石を、羨道は小形の花崗岩を積み上げて壁を作り、玄室・羨道境には0.9メートルの床高差を積石している。一墳丘内に3基の横穴式石室を営造すること、また、その3石室の形態が大きく異なることも注目されるところである。
 後円部石室では、装身具・馬具・利器・工具・土器類などが発見され、また、前方部石室からは馬具・工具・農具・武器・土器類が、さらに、造出部石室からは装身具・武具・工具・農具・土器類など夥しい数量が発見されており、それぞれの石室の被葬者を考える上に重要な所見となっている。3石室は6世紀前葉に同時ないしは接近しての営造であろうとされている。
 本古墳は30余基の横穴式石室墳からなる寺口古墳群の南端に所在し、規模などからして、よくその中核となるものであることを示している。数少ない奈良県における後期前方後円墳の中でも顕著な古墳といえるであろう。

二塚古墳

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