根来寺多宝塔(大塔) 一基
根来寺(大伝法院)は初め覚鑁(一〇九五~一一四四)が高野山に創立し、のち正応元年(一二八八)現在地に移ったといい、多宝塔は高野山の根本大塔にならって造られたと伝える。その建立年次については、昭和十四年解体修理の時発見された多数の墨書によって、文明十二年(一四八〇)資材の蒐集に着手し、明応五年(一四九六)八月心柱を立て、永正十二年(一五一五)屋根瓦を葺き、相輪を装置し、さらに天文十六年(一五四七)に完成したことが判明した。着手から完成までに実に六十七年の長い年月を要している。
塔は円筒形をした塔身の上に宝形造の屋根を置き、塔身の周囲を裳階でつつんだ、いわゆる多宝塔であって、裳階は方五間で、多宝塔のうち規模の大きい大塔形式となっている。そのため外観は壮大かつ安定した形態を示している。内部架構は十二本の円柱を円形に配置して上重を支えているが、これは円形塔身の存在を示す形式として興味深い。細部の手法は室町時代の特徴を示し、頭貫鼻の存在など禅宗様の影響もみられるが、現存する多宝塔のうち最大で、かつ大塔形式をうかがいうる唯一の遺構である。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)