「安倍仲麻呂」は、仲麻呂が明州で別れの宴を催した時、月を見て故郷を思い、有名な「天の原」の歌を詠んだという故事を描いたものであり、題賛には仲麻呂自身の詩と李太白の詩を左より右に書いている。「円通大師」は入宋僧寂昭【(円通大師)】が逗留の勧めに従うとともに自ら姑蘇の奇秀なる山水をめで、呉門寺に隠棲することとなった故事を描いたもので、題賛には藤原道長が円通大師に送った書と、宋史日本伝のうち寂昭の部分を抜き書きし、向かって右から左に書く。
富岡鉄斎は、明治・大正期において最も文人的精神に徹した画家の一人であり、本図の制作された大正三年(一九一四)は、彼七十九歳に当たり、西宮の辰馬家に招かれて本図を描いたが、老いを知らぬ精力的な筆致と豊麗な色彩感覚とが大画面の構成力と相まって、彼の文人的画境をよく表現している。