絹本著色無為昭元像 けんぽんちゃくしょくむいしょうげんぞう

絵画 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1幅
  • 重文指定年月日:19930610
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 長興寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 無為昭元(?-一三一一)は京都の人で、聖一国師の弟子となり、蘭溪道隆、無学祖元にも参禅したことが知られる。博多の承天寺、ついで京都の三聖寺の住持をつとめており、固山一鞏の『固山行状』には、正安二年(一三〇〇)、三聖寺の昭元の下に一七七人の弟子がいたことがみえる。嘉元三年(一三〇五)十二月には東福寺第七世となり、また円覚寺第九世をも歴住した。応長元年(一三一一)二月に相模宝満寺に引退し、同年五月十六日に示寂して東福寺内の東光寺に塔された。のちに大智海禅師号を追贈されている。
 本図は、向かって斜め右を向いて右手に黒色の竹箆を持ち、左手を膝の上に置いて、法被をかけた曲〓に坐す像である。上方に向かって右から七行にわたって自賛が書かれ、「無為」および判読不能の二顆の印章があるが、年紀はない。
 無為昭元の像としては、明兆筆とされる東福寺の四十祖像(重要文化財 明治三四・三・二七)のなかに反対向きの半身像があるが、自賛像は本図のほかに知られず、また墨跡も残っていない。本図は鎌倉時代に遡る自賛のある高僧の頂相として貴重であり、また、穏健、的確な相貌表現、法被の文様にみられる緻密な筆致もあわせて賞されよう。
 長興寺は、無為昭元の弟子の一人で、東福四哲の一人に数えられた太陽義冲(文和元年・一三五二年没・七一歳)が建武二年(一三三五)に開いた寺院である。ただし、本図は幕末まで前述の東光寺に伝来したものである。

絹本著色無為昭元像

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