木造大日如来坐像(多宝塔安置) もくぞうだいにちにょらいざぞう

彫刻 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19900607
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 石山寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 石山寺多宝塔(国宝)の本尊として壇上に安置される金剛界大日如来像である。ヒノキ材の寄木造で頭体幹部は通して正中線で矧ぐ左右二材より造り、内刳りを施し割首を行う。玉眼を嵌入する。髻を別一材製(頭頂に丸〓立て)とし、両手はそれぞれ肩・臂・手首で矧ぎ、両足部および左右腰脇はそれぞれ横一材を矧付け、垂髪は遊離部および両肩上で各七条に分かれる末端をそれぞれ矧ぎ、正・背面の条帛末端と裙先を矧ぐ。像内は頭部を除き、矧目を中心に布貼を施し全面を黒漆塗とする(頭部内は素地)。表面は錆下地金泥塗(後補)とする。
 像内頭部には仏師快慶が無位時代に用いたアン(梵字)阿弥陀仏(「仏」にあたる箇所は表面より耳孔が貫通し現状は字がない)の名が記されている。像は高髻の形や顔立ち、耳の彫法などに快慶作例の典型的特色をみせ、ことに張りの強い肉取りや意志的な表情、脚部に刻まれた太く変化のある衣文にはその初期の作風がうかがわれるところから、彼が法橋位を得る建仁三年(一二〇三)以前の製作とみて誤りなかろう。像内銘には円阿弥陀仏、万阿弥陀仏、金阿弥陀仏など快慶作例の銘文にしばしばみられる人名もあわせて認められる。
 石山寺多宝塔は鎌倉幕府の有力御家人であった中原親能の妻室の建立になると伝えられており、解体修理の際に部材より建久五年(一一九四)かとみられる年記が発見されている。本像がその本来の本尊像である伝来には異伝もあるものの、作風からみた製作年代とは、さほど矛盾しない。
 表面の錆下地金泥塗と光背・台座は像内朱書銘にある元禄八年(一六九五)修理の際のものとみられ、これらの後補が惜しまれるものの、初期快慶の充実した作風を示す一例として注目される。

木造大日如来坐像(多宝塔安置)

ページトップへ