絵画 / 江戸
もと談山神社の子院の一つであった慈門院書院の障壁画である。彭城百川(一六九七~一七五二)は、祇園南海、柳里恭とともに初期南画家を代表する一人で、本図は宝暦元年(一七五一)三月、五十五歳の時の制作にあたる。構図のまとまりや強い陰影表現に百川独特の様式をうかがうことができ、初期南画の一つの方向を位置づけた作品として注目しうるものである。
旧慈門院障壁画〈彭城百川筆/宝暦元年四月の年記がある〉
彭城百川
紙本淡彩山水図〈彭城百川筆/延亨四年の年記がある/六曲屏風〉
紙本金地墨画淡彩紅白梅図〈与謝蕪村筆/襖貼付〉
与謝蕪村