武装した神像五十躯、束帯をつけた神像二十九躯、童子像一躯、計八十躯からなり、すべて男神像で女神をまじえていない。各像の間には構造、技法、表現などにヴァラエティがあるが、平安後期から鎌倉初期にかけて造像されたものと考えられる。中で最も注目されるのは武装像で唐様の甲胄をつけた形制は、四天王像や武装の大黒天などに近いが、各像とも胄の庇の両側を焔髪状に立ち上がらせているのが特色といえ、これらのうちには温雅な作風を示し、同時代の天部形像に比肩しうる本格的造像のものなど作柄のすぐれたものも少なくない。
大将軍は陰陽道において四方を司る神といわれ、その信仰は古く、平安時代の記録にもみえ、当代の生活全般に大きな影響力をもっていたことが知られる。その社は王城鎮護のため都の四方に設けられたと伝え、本神社はその西方に位置する分で他は衰退している。神像彫刻の遺品中陰陽道に関係のある珍しい作例が一括伝来していることは稀有のことといえ、また特殊な神像としての価値も高く評価されよう。