絵唐津柿文三耳壺 えがらつかきもんさんじこ

工芸品 / 江戸

  • 東京都
  • 江戸 / 1601-1700
  • 肩の三方に耳をつけた絵唐津の三耳壺で、素地は砂粒混じりの鉄分を多く含む黄灰色陶胎をなし、轆轤成形する。胴はゆったりと膨らみ肩が張り、口頸部はやや広く、低く立ち上がり、内面上部には受け口状に段を作り出し端部を丸く仕上げる。肩の三方には一本の粘土紐による縦耳を貼りつけ、付け根周りの上部には二箇、下部には三箇の擂座(るいざ)をそれぞれ置く。胴下半はやや丸みをもってすぼまり、底は平底とする。胴下部から底には箆削り調整を施し、底の裾周りを低く高台状に削り出すが、一部は不明瞭となる。
     胴の二方には、それぞれ左右に大きく枝を伸ばし、全体に三箇ずつの実をつけた柿樹文様を鉄絵で描き、内外面全体に土灰の混じった長石釉を掛ける。胴下部から底は土見せとし、長石釉は淡黄白色に発色する。耳の擂座にも鉄絵を施す。
  • 高17.0 口径9.6 胴径17.6 底径8.4 (㎝)
  • 1口
  • 東京都千代田区丸の内3-1-1
  • 重文指定年月日:20050609
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 財団法人出光美術館
  • 国宝・重要文化財(美術品)

唐津は、現在の佐賀県西部から長崎県一帯にかけて展開した窯業地で、桃山時代から江戸時代前期に東日本の美濃窯とともに茶器を焼造した西日本第一の生産地である。開窯の時期については未だに明らかではないが、天正二十年(一五九二)銘の褐釉壺(壱岐島・聖母神社蔵)の存在により、遅くとも天正年間(一五七三~九二)には朝鮮半島からの陶工の渡来により成立していたと考えられている。文禄・慶長の役(一五九二・九七)を一つの契機として開窯する九州諸窯の近世窯においては最も早く開窯し、伊万里をはじめ、九州各地の窯業地に大きな影響を与えている。
 本作品は、奥高麗【おくごうらい】、斑【まだら】唐津、朝鮮唐津などとともに唐津焼を代表する、鉄絵で文様を描く絵唐津の製品である。胴に描かれた柿樹の文様は素朴ながら手慣れた筆致でのびのびと軽快に描かれる。なお、本壺のような三耳壺の類例は他に知られておらず、器形を轆轤で成形し、耳の飾りに擂座を施すなど、きわめて丁寧に製作されており、特別に注文されたものと推測される。
 本品は、類例稀な三耳壺に文様が見事に調和した優品であり、絵唐津を代表する作品の一つである。

絵唐津柿文三耳壺

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