唐津は、現在の佐賀県西部から長崎県一帯にかけて展開した窯業地で、桃山時代から江戸時代前期に東日本の美濃窯とともに茶器を焼造した西日本第一の生産地である。開窯の時期については未だに明らかではないが、天正二十年(一五九二)銘の褐釉壺(壱岐島・聖母神社蔵)の存在により、遅くとも天正年間(一五七三~九二)には朝鮮半島からの陶工の渡来により成立していたと考えられている。文禄・慶長の役(一五九二・九七)を一つの契機として開窯する九州諸窯の近世窯においては最も早く開窯し、伊万里をはじめ、九州各地の窯業地に大きな影響を与えている。
本作品は、奥高麗【おくごうらい】、斑【まだら】唐津、朝鮮唐津などとともに唐津焼を代表する、鉄絵で文様を描く絵唐津の製品である。胴に描かれた柿樹の文様は素朴ながら手慣れた筆致でのびのびと軽快に描かれる。なお、本壺のような三耳壺の類例は他に知られておらず、器形を轆轤で成形し、耳の飾りに擂座を施すなど、きわめて丁寧に製作されており、特別に注文されたものと推測される。
本品は、類例稀な三耳壺に文様が見事に調和した優品であり、絵唐津を代表する作品の一つである。