楽焼赤茶碗(加賀)〈光悦作/〉
らくやきあかちゃわん(かが)〈こうえつさく〉
工芸品 / 江戸
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本阿弥光悦
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江戸
- 全面に施釉されており、おそらく赤味をおびた白色軟質陶胎、手捏ね成形による楽焼き茶碗。円筒形で、胴にふくらみをもたせ、胴裾はややすぼまり、腰にはきっかりと稜をつける。口縁部には二方に平らな篦目と、二方に丸みをつけた高低がある。胴の肉取りは厚く薄く変化する。胴の一方に、口縁から胴中央にかけて二筋のつよい篦目をつけ、他にも削りあとが随所にみられる。高台はやや低く、円形に素直に削り出され、高台内も平らである。高台際から腰にかけて、起伏のある斜面をなしている。胴の上下白泥を塗り、一部をのこしてほぼ全面に黄土を刷毛で塗り、全面に透明性の低火度釉をかける。一部に白地にうす赤の刷毛目あとがあらわれ、緑斑の窯変も数カ所に生じる。高台内中央に黒楽釉えおかけている。口辺内側と外側の裾まわりに、釉がかりの薄くかせたように見える部分がある。
- 口径11.8~12.7 高9.6 高台径5.8 (㎝)
- 1口
- 重文指定年月日:19740608
国宝指定年月日:
登録年月日:
- 相国寺
- 国宝・重要文化財(美術品)
本阿弥光悦が手すさびに茶碗などを作ったことは、光悦の消息あるいは『本阿弥行状記』などによってわかり、光悦作と伝える茶碗・香合などがかなり残っている。彼の作陶は徳川家康から京都の北鷹ケ峰に二百石の地を拝領して隠棲するようになった元和元年から寛永十四年歿するまでの間と推測される。
この茶碗は珍しく半筒形の大振りのもので力強い作振りが示され、形姿に光悦独自の作為がうかがわれる。
加賀前田家に仕えた千宗旦の子仙叟宗室が所持したので加賀光悦の名があり、のちに雲州松平不昧【ふまい】公の所蔵するところとなった。