本図は晋代穆帝の永和九年三月三日に王羲之が四十一人の文雅の士と会稽山の蘭亭に会し、曲水に觴を流して各自詩を賦し、成らざれば觴をとりあげて酒を飲んだという故事を描いたものである。八曲二双という余り例をみない長大な画面を用いているが、それによってはじめて曲水の両岸に居並ぶ四十人余の名士をあますところなく描くことに成功している。無款ではあるが、特色ある皴法、樹形から、筆者は狩野山雪(一五九〇/天正十八年-一六五一/慶安四年)と考えられる。山雪はこの画題を得意としていたようで、所々の障壁画に描いたことが知られている。