歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 安土・桃山 江戸 室町 鎌倉 南北朝
滋賀県滋賀県八日市市の南部旧今堀郷の鎮守日吉神社に伝来した文書である。室町時代を中心に鎌倉時代から江戸時代に至る文書を含み、原本としては弘安七年(一二八四)十一月三十日山門衆議下知状が最も古い。本文書は、大正時代初期に『近江蒲生郡誌』が編纂された際に発見され、三浦周行氏が利用されて以後、多くの中世史研究者の注目するところとなり、現在は台紙貼りにされて六十六冊に収められ、滋賀大学経済学部附属史料館に寄託されている。
今堀郷は中世には山門領得珍保内の一小字であったがその中心をなし、ここに坂本日吉社の摂社である十禅師社が勧請され、郷民によって宮座が形成されていた。また、京や若狭、伊勢に通ずる街道の要衝にあたり、保内商人の中心地でもあった。そのために、本文書の大きな特徴は、座商人の実態を解明する商業関係文書と惣村形成に関する文書が他に類例を見ないほど豊富に存することである。
商業関係文書においては、他郷との相論文書を多く伝え、応永三十四年(一四二七)十二月十九日保内名主百姓等目安案のごとく保内商人の座を中心とする特権の内容を具体的に示す史料や、その組織のあり方について明らかにする室町時代末期の保内今堀郷商人交名以下の文書が多数含まれている。
また、今堀郷内部の惣村形成に関する文書には売券、寄進状の類、宮座関係文書、土地帳簿類などがある。応永二十三年(一四一六)十一月四日今堀惣神田納帳などの帳簿類は三十点程を存し、売券、寄進状は南北朝時代から室町時代末期まで二百点以上がまとまっている。これらは中世村落の構造を時代をおって解明する上で重要な史料となっている。このほか、地縁共同体の内部規範を示す掟類も多数存していて注目される。
以上のように、本文書は近江の今堀郷における歴史を通して、中世商業史及び村落史上の多くの問題を明らかにし、価値が高い。