名勝
舊祥雲寺の庭園にして元和元年徳川家康より智積院第三世日譽に與へし所なるも其の建築は天和二年火を失して烏有に歸したり庭園は第七世運敞の時局部的改修を試みられたるも甚しき變化なく今日に傳へらる、書院の東方自然傾斜地には工を加へて之に石組、植栽をなし山麓に沿うて池を穿て書院上段の間の東方對岸なる溪流には石橋を架し其の下方の飛泉及護岸の石組等は紀州産青石の橋と共によく都林泉名勝圖會に描かれたる景觀を存せり蓋し自然の地形を巧みに利用したる桃山時代書院庭園の好適例なり
天徳院庭園
霊洞院庭園
清見寺庭園