厨子入木造大日如来坐像

彫刻 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19880606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 光得寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 智拳印を結んだ金剛界大日如来像で、頭体幹部はヒノキの一材を前後に割矧ぎ、像底を上底式に残して、内刳りを施し、割首として、表面を漆箔で仕上げる。光背は木造、白色彩、圏帯部などに金銅製の紐、花飾などを付ける。台座は木造、漆箔。木造金泥塗りの獅子八頭(四頭現存)を反花上に置く。厨子内壁には木造金泥塗りの乗雲の仏、菩薩像三十六躯(二十八躯現存)を取りつけ、光背中央上方の宝塔とあわせて、金剛界曼荼羅の主要尊である成身会の諸尊をあらわしている。厨子は木造、黒漆塗り。扉内側に蒔絵で、金、胎両部大日如来の種子を描く。これらは、厨子外面の漆塗り等を除いて、製作当初のものとみられ、その丁寧な荘厳と、保存のよさが特筆される。
 像は張りのある若々しい表情を示し、体躯ものびやかで安定感に富む。このような作風は、神奈川・浄楽寺阿弥陀三尊像(文治五年=一一八九 重文)、愛知・滝山寺諸像(建仁元年=一二〇一頃 重文)にみられる鎌倉時代の巨匠、仏師運慶の作風に似ており製作もおよそその頃と考えられる。また、X線写真によって、像内に、木製とみられる五輪塔、金属の蓮弁をもつ水晶製らしい珠、針金でからげた人の前歯らしいものの納入が認められる。このうち五輪塔と水晶珠は、運慶が主宰した興福寺北円堂弥勤仏像(国宝)の納入品に例があり、歯は源頼朝追善の滝山寺聖観音像に納入されたとの伝えがある。これらのことからも、運慶の作とは断言し難いまでも、運慶統率下の慶派仏師による造立と考えられる。
 近世の『足利鑁阿寺縁起』等によると、本像は源頼朝の血縁にあたる足利義兼(正治元年=一一九九没)が、本拠地足利に建てた法界寺の像であり、江戸時代にはその霊堂に安置されていたと伝えるが、その後、明治初期に近くの光得寺に移されたらしい。作風の示す製作年代や入念な政策態度をあわせて考えても、鎌倉幕府の要人であった義兼にかかわる造立である可能性は高い。

厨子入木造大日如来坐像

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