宝治三年(一二四九)に花山院(藤原)師継(一二二二-一二八一)が書写した『古今集』の古写本である。
体裁は綴葉装、紺地牡丹唐草宝尽文金襴の後補表紙を装し、鳥ノ子題簽に「古今和歌集上(下)」と墨書外題がある。本文料紙は楮紙(打紙)を用い、巻頭に仮名序を半葉九行、注は小字双行に書写し、本文は「古今和歌集巻第一」の内題以下、半葉九行に流麗な筆致に書かれ、和歌は一首一行書、詞書は約二字下げに記している。下帖本文末には半葉二枚の白紙をおいて墨滅歌が記され、ついで真名序が半葉七行に書写されている。本文は完存し、所収歌は墨滅歌一一首をあわせて一一一一首である。
文中、仮名序には俊成本との校合や異本注記、まま朱声点、拘点がみえ、本文中には勘物注記のほか、墨、朱の異本校合、朱声点、拘点が、また真名序には俊成本との校合注記をはじめ、墨仮名点、声点、返点、朱ヲコト点(紀伝点)、返点が稠密に付されている。これらにみえる俊成本との比校の跡は、「昭和切」との一致も少なくなく、その比校に用いた「俊成卿本」の原形を考える上にも注目される。
下帖末には貞応二年(一二二三)七月廿五日藤原定家本奥書についで、宝治三年二月九日皇后宮権大夫花山院師継の書写奥書があり、この本が藤原為家から為氏に相伝された定家自筆本を師継が自ら書写したことを記している。続いて師継は同じく建長元(宝治三)年四月十九日、同廿四日、同廿七日、五月四日と校合を重ね、さらに権大納言(一二五五-一二七一)の時に俊成自筆本によって校合を加え、真名序、仮名序にも注記したことを記し、自ら「一流之証本」と自負している。さらに弘安元年(一二七八)九月十六日に前大納言為氏から仮名序の伝授をうけ、定家自筆の点本によって声点や勘物を加えた次第を明らかにしている。その後、本帖は比叡山の権大僧都静範に伝領され、文保元年(一三一七)九月廿四日の静範奥書によれば、長舜法印所持本との比校に加え、同本の奥書、六歌仙に関する勘物を書き加えている。
本帖の筆者花山院師継は、右大臣忠経の四男で参議、皇后宮権大夫、権大納言等を経て内大臣正二位に至っている。歌人としても知られ『続後撰集』以下の勅撰集に三四首が収められている。本帖は、貞応本系統の『古今集』の最古写本であり、花山院師継が自ら書写し、くり返し校合を加えた本として、二条家相伝本の古体を伝えて価値が高い。