覚園寺文書(九十七通) かくおんじもんじょ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 安土・桃山 江戸 室町 鎌倉 南北朝

  • 鎌倉~江戸
  • 8巻、1幅
  • 重文指定年月日:19850606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 覚園寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 覚園寺は永仁四年(一二九六)北条貞時開基、心慧【しんえ】開山になる真言、律、禅、浄土四宗兼学の寺で、その前身は北条義時建立になる大倉薬師堂である。本文書は、建長三年(一二五一)三月二十八日将軍藤原頼嗣下文を上限として同寺の所職や所領、行事などに関するものが多く、心慧がその示寂一週間前の嘉元四年(一三〇六)四月二十一日に覚園寺修造のことについて遺言した置文や、朴艾思淳【ぼくだいしじゆん】が毎月の法会、年中行事を定めた覚園寺月課年課記等がある。また、覚園寺造営料として靱負尉百人分の成功を寄進した光厳上皇院宣は、当時の売官史料としても珍しい。このほか、薬師如来および戌神将像胎内文書は、薬師堂創建以来の所領に関するものが多く、建治三年(一二七七)十二月二十八日尼実阿弥陀仏譲状以下四十八通を存している。
 このように、覚園寺文書は、得宗開基になる律宗系寺院の規模とその変遷の歴史を明らかにして、中世史研究上に価値が高い。

覚園寺文書(九十七通)

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