現在当八幡宮の収蔵庫に置かれている狛犬で、もとは本殿庇の間に安置されていた。頭頂中央に一角、顔をほぼ右真横に向け、瞋目・閉口し、右前肢をわずか前に出して蹲踞する。当八幡宮の本殿は三殿から成りそれぞれに獅子狛犬があり、本狛犬は中御殿に安置されていた。治承四年(一一八〇)の兵火による再興について記す『東大寺八幡験記』によれば、治承兵火以前から社殿には師(獅)子が安置されていたことがわかる。
ヒノキ材と思われる針葉樹材の寄木造で、頭躰幹部は腰辺りを通る線で前後二材矧にするが、内刳をしない。右前肢、右後肢膝先、四肢先、尾(尻部との間にマチ材を挟む)を各矧ぐ(後肢は後半材と共木彫出)。彫眼で瞳部を円形に一段高く彫出する。表面は錆下地彩色および漆箔仕上げ(後補)で、全身に布貼する。
像高九〇センチメートルをこえる狛犬の作例は平安鎌倉時代を通して少なく、石川・白山比咩神社像(平安時代、重文)などとともに類例のなかでも大型である。本像の盛り上がった筋肉や強く踏ん張った四肢の力強い表現は的確で、生気ある写実的表現にまとめられ、その製作は一三世紀前半に位置づけられる。しかも目の瞳部分を一段高く彫り出す表現は東大寺南大門の金剛力士像(国宝)や同寺僧形八幡神像(建仁元年〈一二〇一〉、快慶作、国宝)など慶派仏師の彫刻にみられ、本像も同派の作と想定できよう。
さらに真横を向いた細頭・長頸の表現は、この時期の狛犬としては異例で、類似の形姿の像は鎌倉時代はなく、むしろ教王護国寺旧蔵の狛犬など平安前期の作例にみられるような古様な表現である。治承の兵火による東大寺・興福寺の復興に際しては旧像に倣って再興されることが多く、もと本八幡宮に安置されていた僧形八幡神像も神護寺伝来の画像の写しであったことからも、本像にもそうした可能性が考えられる。
附の獅子狛犬は、現在も本殿庇の間に安置されている(中御殿の獅子のみ収蔵庫)。いずれも鎌倉期の狛犬と同じ大きさで造られ、形状・作風ともよく似ている。構造はすべて頭躰を頸部で水平に矧ぎ、躰部が前後矧ぎの構造が基本となる。中御殿の狛犬をもとに復興されたものであるが、鎌倉時代の狛犬に比べて造形的に生気なく迫力に欠け、その製作は寛永九年(一六三二)火災後公慶上人による復興時の元禄四年(一六九一)遷宮のころになろう。