木造織田信長坐像

彫刻 / 安土・桃山

  • 桃山 / 1583
  • 重文指定年月日:19970630
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 総見院
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 新たな全国統一政権の展望を開き、近世の扉を開いた武将、織田信長(一五三四-八二)の肖像彫刻で、束帯に威儀を正した等身大の像である。彼の菩提を弔い、その位牌所として大徳寺山内に建立された総見院の本堂に安置される。
 ヒノキ材を用い、頭体を別材から造り、頭部は前後二材、躰部は正・背面各三材を中心に数材を寄せて箱状に組む。玉眼嵌入の彩色像で、袍は黒、表袴には白と黒で石畳文の地に五葉の木瓜文を描き、〓霰の浮織物を表す。
 像底の朱書銘には、本像が天正十一年(一五八三)五月吉日、七条大仏師宮内卿法印康清【こうせい】によって製作されたことが記される。天正十年六月二日、本能寺で自刃した織田信長の一周忌の法要は、翌十一年六月二日に大徳寺で行われており、その製作時期や伝来を考慮すれば、本像は織田信長の一周忌のために製作されたものとみられる。作者の康清の事績については不明であるが、康正ら正系とは異なる七条仏師の系譜に属する者とみられ、他に元亀四年(一五七三)銘の京都府亀岡市・楽音寺薬師如来坐像や京都府宮津市・如意寺阿弥陀如来坐像などの遺品が知られている。
 躰部の正面観は左右相称の二等辺三角形状に整えられ、両肩を大きく張り、両袖を跳ね上げ、両腕辺に彫りの深い襞を畳むほかは衣文をほとんど刻まず、その表現は総じて概念的で、側面観も多少均整を欠いている。これに比べると面貌はかなり写実的で、唇が薄く、頤が尖った面長で、神経質そうな顔立ちは、神戸市立博物館本(重文 天正十一年五月製作)や同年六月の寄進銘のある愛知・長興寺本(重文)などの画像に通じ、像主の面貌の特色をよくとらえているといえよう。その威厳を誇示した堂々たる姿はなお充実した造形を保っており、本像は当代を代表するに足る武将の肖像彫刻の基準作例として貴重である。

木造織田信長坐像

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