宗峰妙超(1282〜1337)は南浦紹明(なんぽじょうみん)の法を嗣(つ)ぎ、大徳寺開山となった。花園上皇からの諡号(しごう)「大燈国師」が広く知られている。その法嗣(はっす)には徹翁義亨(てっとうぎこう)、妙心寺開山の関山慧玄(かんざんえげん)らがおり、臨済宗の中でも大きな勢力を誇った。本作は冬至小参(しょうさん)(冬至前日に行われる行事)の際の法語を宗円(そうえん)道人(伝歴不詳)のために揮毫したもので、遺墨の中では早い時期(41歳)の作である。宗峰妙超の遺墨は多数あるが、いずれも気宇壮大な書風をみせ、中国の名僧虚堂智愚(きどうちぐ)や中峰明本(ちゅうほうみんぽん)などの影響がみてとれる。