市尾墓山古墳・宮塚古墳 いちおはかやまこふん・みやづかこふん

史跡 古墳

  • 奈良県
  • 高市郡高取町
  • 指定年月日:19810331
    管理団体名:高取町(昭61・4・30)
  • 史跡名勝天然記念物

S54-12-036[[市尾墓山古墳]いちおはかやまこふん]・[[宮塚古墳]みやづかこふん].txt: 墓山古墳および宮塚古墳は、大和盆地の南端近く、大和川支流の曽我川の形成した小平野にある前方後円墳で、付近には史跡水泥古墳・巨勢寺塔跡など、重要な遺跡も多くみられる。墓山古墳は水田のひろがる沖積地にあって前方部を西北に向け、遺存状況の良好な周濠・外堤をそなえており、他方の宮塚古墳は、墓山古墳の西南方約250メートルの独立丘陵上にのって、前方部を東北に向けている。
 墓山古墳は、昭和53年に高取町教育委員会により発掘調査が行われており、墳丘は全長約63メートル、前方部幅45メートル、後円部径33.5メートルで、くびれ部に造り出しがみとめられる。前方部・後円部の高さはほぼ等しく、約8メートルである。墳丘は葺石をもつ2段築成で、円筒の埴輪列がめぐらされている。周濠の幅は6〜8メートル、外堤は幅8〜12メートルで高さ2メートルをこえる部分もみられる。後円部の南面には横穴式石室が開口し、玄室長さ約6メートル、羨道長さ約4メートルで片袖式に属する。玄室内には刳抜式の家形石棺がおかれているが、長さ約2.7メートル、幅約1.2メートルという規模は、この型式の石棺としては最大級に属する。また蓋の頂部の幅が狭く、家形石棺の古い形式的特徴をよくそなえている。
 宮塚古墳は、全長約44メートル、前方部幅約23メートル、後円部径23メートルの規模を有し、2段築成で後円部に北々西に開口する横穴式石室をもつ。玄室内にはやはり刳抜式家形石棺が置かれている。
 墓山古墳・宮塚古墳は、6世紀初頭から前半にかけて同一系列に属する首長墓としてあいついで築造されたものと推定され、立地・墳形・石室・石棺などの状況は古墳時代後期初頭の古墳のもっとも典型的な姿を示すものであり、古墳の変遷を知るうえで不可欠なものといえる。

市尾墓山古墳・宮塚古墳

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