本年度の指定候補である四天王立像は、一木造の堂々たる等身大の体躯を持つ一揃いと考えられる像。国宝に指定される本堂内陣の宮殿両脇に2軀ずつ直線上に安置される。
太山寺に伝わる文書によると、本堂は承元3年(1209)8月27日、弘安8年(1285)2月19日の二度罹災しており、承元3年作成の『勧進帳』では罹災した仏像に四天王が含まれている。こうした文献の記載に従えば、制作年代は弘安8年(1285)から、本堂再建と考えられる正安4年(1302)の間が想定される。だが持国天・増長天の2躯にみられる、全体の重量感や躍動感を損なうことなく、細部まで巧みに掘り出された迫真的な面部や立体感のある軽やかな鎧の造形は、建暦2年(1212)造立の滋賀・西明寺木造四天王立像に通じる点がある。一方で広目天・多聞天の2躯は、前者に比べると全体に彫りが鈍く、鎧の重なり具合もぎこちないなど、平板で弛緩した造形を持つことから、弘安8年以降制作の可能性がないわけではない。
表情の誇張が強まり、全体に弛緩した表現へ移行していく鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての作品に比べ、本四天王像ははるかに優れた作風をみせている。持国天・増長天と広目天・多聞天の作風の違いは、仏師の力量の差によるものと考えてよいであろう。一木造の内刳なしという古様な構造が4躯に共通する点もあわせて考えれば、本四天王像は一揃いのものであるといえ、制作年代についても鎌倉時代・13世紀に遡ることは確実であろう。
全9枚中 8枚表示