本件は、長崎県原(はる)の辻(つじ)遺跡から出土した弥生時代の出土品一括である。遺跡は長崎県壱岐市(いきし)に所在する、居住域と墓域からなる大規模な環濠集落である。
昭和四十九年(一九七四年)以降、河川改修やほ場整備に伴う発掘調査が行われた。これらの調査により、弥生時代の大規模な環濠集落であることが判明、『魏志倭人伝』に記された「一支(いき)国(こく)」の中核的集落に比定する説が有力となり、平成九年(一九九七年)に史跡、平成十二年(二〇〇〇年)に特別史跡に指定された。
遺跡の中心部は三重の環濠(かんごう)で囲まれ、周辺に広がる墓域や船着き場跡を含めた面積は約百ヘクタールに及ぶ。集落は弥生時代前期後葉に形成され、中期から後期にかけて繁栄、古墳時代前期には環濠が埋没して廃絶する。
本件は、長崎県教育委員会と壱岐市教育委員会により実施された、昭和四十九年度から平成十九年度(一九七四~二〇〇七年度)にかけての発掘調査で出土した主要な遺物千六百七十点から構成される。その内容は、土器・土製品七百十一点、木器・木製品百十四点、石器・石製品四百三十点、ガラス製品五十三点、金属製品三百十六点、骨角製品四十六点である。
土器・土製品には朝鮮系無文土器、楽浪(らくろう)系や三韓(さんかん)系の瓦質(がしつ)土器、朝鮮三国系の陶質(とうしつ)土器などの外来系土器が多数含まれ、これらに畿内・山陰・周防・肥後など西日本各地からの搬入土器も存在して、国内外との活発な交流を物語る。木器・木製品は農工具のほか、漆塗り台付杯(つき)を含む容器、短甲や楯などの武器・武具、椰(や)子(し)笛(ぶえ)など多彩である。石器・石製品では、祭祀具と推定される人面石(じんめんせき)が特筆される。さらに、金属製品には鋳造鉄斧(ちゆうぞうてつぷ)、中国鏡・車馬具(しやばぐ)・中国銭などの多様な舶載の青銅器があり、なかでも竿(さお)秤(ばかり)に用いる権(けん)は、交易の実態を示していて貴重である。骨角製品では、離頭銛(りとうもり)・あわびおこし・釣針などの漁労具が充実し、生業の一端を示している。
本件は日本と中国・朝鮮との交易拠点として繁栄した大規模集落の出土品一括として、当時の国際交流、生業、精神生活を復元するうえで極めて重要な資料である。