高岡市定塚町青年学校への援助願書 たかおかしじょうづかせいねんがっこうへのえんじょがんしょ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 文書・書籍 / 昭和以降

高岡市定塚町青年学校後援会長 正村五平と学校長 金丸栄太郎から、定塚町青年学校後援会員各位に宛てられた援助願書である。
 内容は、まず当青年学校の振興について、これまでの後援によって年々その内容が充実し向上していることに対する謝辞を述べている。その上で、青年教育は時勢とともに一層必要であり、一日も疎かにしてはいけないと考えている。また、その組織経営についてはより一層の工夫を要するため、器具や資材、演習費など相当の補助も必要である。そのため、時局柄恐縮ではあるがどうか理解いただいた上で当校の後援会員として変わらず援助をいただきたく、改めて願い申し上げるというもの。
 当時の「時勢」「時局」というのは、昭和12年(1937)から始まった日中戦争の激化や、それに伴う同13年5月5日施行の国家総動員法などで国民が苦しい生活を余儀なくされていたことではないかと推測される。
<参考>『富山大百科事典 電子版』(平成28年6月15日アクセス),『高岡市史』下巻(高岡市,1969)

高岡市定塚町青年学校への援助願書 たかおかしじょうづかせいねんがっこうへのえんじょがんしょ
ページトップへ