承和2(835)年3月15日付で、後世、真言宗の内外のことについて護るべき事を25条にわたって示した書。目前に迫った入定を予告し、諸寺院の管理や運営等を指示している。真言宗ではこれを規範とし大切に伝えてきた。空海真筆と称するものが高野山御影堂にある。空海は入定後について、「兜率他天に往住して弥勒慈尊の御前に侍すべし(中略)微雲管より見て、信否を察すべし」とあり、兜率天で雲の間から人々の信仰、不信を観察すると述べている。なお空海作とされる遺告類には『太政官符案并遺告』(承和元年11月15日)、『遺告諸弟子等』(承和2年3月15日)、『遺告真然大徳等』(承和2年3月15日)、『御遺告』(承和2年3月15日)等があるが、空海没後60年目の寛平7(895)年に書かれた貞観寺座主の『贈大僧正空海和上伝記』より後に著されたもので、空海の直作ではなく900年代半ばの成立とされる。しかし空海の真意が弟子を通じて記されたものであり、永く真言宗の中で大切に扱われている。本資料は宝暦13(1763)年写。