新興の大都市江戸で浮世絵を確立した菱川師宣(不明~一六九四)は、全く新しい主題、図様、姿形を多数生み出した。その図様は、浮世絵第二世代と呼ばれる画家たちに継承され、浮世絵の隆盛が導かれる。中でも本図の作者宮川長春(一六八二~一七五二)は、師宣等から継承した図様を巧みに用いるとともに、そこから独自の図様を生み出して人気を博し、その作品は一世を風靡した。本図は、その長春の代表作ともいわれる画巻形式の風俗図である。
画面はふたつの場面からなる。第一場面は梅の咲く季節に役者の一行が大名屋敷に赴く道中。第二場面は座敷の中の光景で、お付きの侍女等と共に御簾越しに舞台を観覧している高貴な武家婦人と、傘を手に踊りが演じられている仮設舞台及び背後の楽屋からなる。武家の婦人の打ち掛けに四つ葉の葵のように見える紋があり、幔幕の文様も葵の葉に見えるため、特定の注文主の意向により実際に行われた出来事を絵画化したものと推測されている。
長春の描く女性の容貌はしばしば類型的と評価される。しかし本図では、御簾の内の武家女性たちは細面の横顔で、目をやや小さめに、わずかにつり気味に描かれるのに対し、役者たちは体が大きく堂々と描かれ、目もやや大きめで頬がふっくらと描かれるなど微妙な変化がつけられている。おそらく画巻を開くにつれ次々現れる武家女性を鑑賞してきた目に、それと気づかないまま役者が華やかで魅力的に映る工夫がなされているのであろう。巻頭で抑揚のある柔らかい筆致で男衆を描いているのも、続く武家屋敷の女性達の厳粛な雰囲気と対比されているものと考えられる。最後の楽屋のあわただしい様子は表のかしこまった舞台に活気を伝え、衣裳を掛けた綱が幕を引くかのような役割を果たす。このようにして舞台の演舞の場面が最高潮となるよう全体が組み立てられている。
長春は作品に年記を記すことがほとんどなく制作年代が確実な作品は知られていない。画風の展開も把握し難いが、後期作例の署名にみる「川」と「図」の字形が外側に反ることが指摘されている。それに従えば本図は後期の作と考えられ、筆致が成熟した柔らかいものであることとも符合する。
さまざまな人物描写が盛り込まれ、室内描写も効果的な本図は、師宣の築いた基盤の上で浮世絵をより洗練されたものへと進展させた長春の力量が、遺憾なく発揮された優品であり、菱川派から宮川派へと連なる初期浮世絵の展開を示す作例としても重要である。