昭和10年(1935)に文部省法隆寺国宝保存事業部の事業として撮影された法隆寺金堂壁画12面の写真原板群のうち、原寸大分割写真ガラス原板363枚である。
撮影は、昭和9年の試行撮影を経て翌10年8月から開始され10月にまで及んだ。既に金堂壁画の撮影実績がある便利堂技師長佐藤浜次郎を主任とし、六桜社技師の参加を得て実施され、(一)原寸大分割写真撮影のほか、(二)各面全図写真撮影、(三)四色分解写真撮影、(四)赤外線写真撮影が実施された。(一)、(二)および(三)の半分は特製大型写真機にて、イギリス・イルフォード社製の全紙規格(456ミリメートル×565ミリメートル)のガラス原板が使用された。撮影は壁画前に枠を組立て、壁画との焦点距離を変えずに垂直および水平方向にカメラを移動可能とし、250ワットの白熱球を10個使用可能な照明設備を設け、狭い堂内における撮影に対応させた。
原寸大分割撮影は、大壁で縦6、横7の42、小壁で縦6、横4の24に分割され、各面主尊面相を別撮影として374分割となり、撮影後は紙焼付写真3部が文部省に納入された。ただし紙焼付写真は変褪色が懸念されることを理由に、翌11年に原寸大コロタイプ印刷版(掛幅装)制作の発注がなされ、昭和13年までに23組が作成され、文部省に納入されるとともに、外国を含む学校、美術館等に頒布された。また、これらは昭和14年から開始された模写制作において下図として利用された。
このため、現状はイルフォード社製ガラス乾板ネガの画像膜面をガラス板から遊離させ、画像膜面を反転させたうえで別のガラス板に貼り替えたコロタイプ原板となっている。
本件は、高度な撮影技術を駆使し、巨大な壁画の精緻な記録を作成することに成功した。その後壁画が焼損したことにより、記録内容の重要性は飛躍的に高まった。古代東アジアを代表する仏教絵画である法隆寺金堂壁画の高品質の写真原板として学術的価値が高い。