昭和10年(1935)に文部省法隆寺国宝保存事業部の事業として撮影された法隆寺金堂壁画12面の写真原板群のうち、各面全図写真原板12枚、四色分解写真原板(原色図版用)48枚(以上ガラス原板)、赤外線写真原板23枚(ガラスおよびフィルム原板)である。
対象の壁画は四方四仏4面および菩薩8面で、大型の画面に雄大な構図、精緻な描写、華麗な賦彩にて各面主題があらわされ、東アジア仏教美術史上の至宝と認められてきた。それゆえ、明治30年(1897)の古社寺保存法施行直後に金堂が特別保護建造物に指定されると、壁画保存は行政上の課題となり、大正年間の「法隆寺壁画保存方法調査委員会」の調査をはじめ各種対策が検討された。昭和9年法隆寺国宝保存事業が開始されると、正確な現状記録作成を目的とした金堂壁画の原寸大分割撮影が企画され、京都の便利堂(社長・中村竹四郎)が請負い、(一)原寸大分割写真撮影のほか、(二)各面全図写真撮影、(三)四色分解写真撮影、(四)赤外線写真撮影が実施された。
昭和24年の壁画焼損ののちは、本四色分解写真原板が壁画の賦彩を最も正確に伝える画像記録となり、『法隆寺金堂壁畫集』(法隆寺金堂壁畫集刊行会、昭和26年)に原色図版が掲載されるとともに、文部省は和紙を用いた原色凸版印刷1000部を作成した。昭和42年・43年に実施された金堂壁画復元模写事業では、原寸大分割写真によるコロタイプ印刷版を下図とし、彩色にあたってはこの原色図版が大いに参考とされた。
本件は高い技術を駆使し撮影された三種の写真原板である。原寸大分割写真原板(法隆寺蔵)と相俟って、古代東アジアを代表する仏教絵画である法隆寺金堂壁画の最も質が高い写真原板として学術的価値が高い。