上輩寺の五輪塔群 じょうはいじのごりんとうぐん

建造物 近世以前その他 / 南北朝

  • 神奈川県
  • 南北朝時代
  • 3基とも、関東における五輪塔の中でも比較的や大型でほぼ同じ法量を示す。台座、基壇を伴わず、梵字は刻まれていない。最大幅は火輪にあり、地輪にかけて幅が減じていく傾向が認められる。鎌倉時代のものと比べ、火輪の降棟の湾曲は少なく、軒面の幅は薄い。水輪は1号、3号塔がやや扁平な球形に対し、2号塔はやや扁平な杏子型である。また地輪はほぼ正方形であるが、わずかに横長である。いずれも、空風輪と火輪の接合は臍穴式。さらに火輪と水輪の接合は臍穴式ではなく、水輪側に直径0.20m前後、深さ0.06m~0.13mの納骨穴が穿たれる。3基とも接合部分の状況から、同一個体(本来の組み合わせ)であると考えられる。
    材質は、輝石(暗黒色)と斜長石(白色)を斑晶鉱物とする安山岩で、元箱根石仏群と同じ石質とみられる。
    各塔とも空輪の上先端(頂部)を欠く。また、2号塔は火輪の軒2隅を大きく欠いている。
    市内に所在する中世の五輪塔の中では群を抜く大きさである。これまで五輪塔が市指定重要文化財に指定された例はない。
    南関東地方に所在する五輪塔との比較から、水輪等の形態的特徴により3基の五輪塔の造塔時期は南北朝時代と考えられる。
  • 1号 総高1.61m 最大幅0.68m
    2号 総高1.76m 最大幅0.70m
    3号 総高1.64m 最大幅0.69m
  • 3基
  • 神奈川県小田原市酒匂2丁目44番27号
  • 小田原市指定
    指定年月日:20190222
  • 有形文化財(建造物)

寺の開基酒匂右馬頭の墓との伝承がある。
『新編相模国風土記稿』に以下の記載がある。「上輩寺は、九品山浄土院と号す。時宗。国府津村蓮台寺末。開山他阿真教。永仁五年建。元応元年正月二七日卒。」「開基は酒匂右馬頭某なり。墓碑を置。又墳あり。五輪三基並建。高各五尺四寸。本尊弥陀。」※永仁五年=1292年 なお、現在墓碑は確認できない。

上輩寺の五輪塔群

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