歴史資料/書跡・典籍/古文書 文書・書籍 / 鎌倉 南北朝 室町 安土・桃山 江戸 明治
浮浪山鰐淵寺は島根県出雲市別所町に所在する天台宗寺院である。平安時代には仏教修行者の籠もる山として知られており、神仏習合によってはやくから杵築大社(出雲大社)と関係が生じ、近世まで続いている。鎌倉時代には比叡山の末寺として出雲国屈指の有力寺院となっており、本山である比叡山をはじめ、朝廷や幕府との関わりの中で、あるいは尼子氏や毛利氏といった大名など地域権力との関わりの中で、多くの文書を集積してきた。その内容は、寺領に関する安堵状や訴訟文書、戦乱の中で鰐淵寺に対して祈祷を依頼する祈祷文書、出雲国内での法会における僧の座次を争った相論文書ほか多様であり、そのなかで中央との関わりや地域社会の有り様などが映し出され、様々な視点から研究する素材を提供してくれている。鰐淵寺文書の特徴としては、まず鎌倉時代前期から安土桃山時代まで、中世全体にわたって三八〇通余りの多数の文書が残され、その多くは古文書の形として原形をとどめていることが挙げられる。中世文書は表装されることも多いだけに、これは貴重である。また文書の残り方として鰐淵寺の和多坊充、あるいは和多坊関係の文書が圧倒的に多いことも特徴的である。和多坊は発掘調査によれば一二世紀後半まで遡り、明治三十八年に火災で焼失するまで、鰐淵寺北院の最も中心的な僧坊として機能している。鰐淵寺文書は、和多坊が北院長吏として鰐淵寺の管理運営に携わった文書群であると考えられる。さらに文書の差出としては朝廷、公家、武家、寺家など多様であり、また文書様式としても綸旨、院宣、御教書、下文ほか多種にわたっている。
このように鰐淵寺文書は、古文書の様式の種類の多さやその内容の豊かさなどの点においても、古文書学のみならず政治史をはじめ社会経済史、宗教史などの研究上、大変貴重である。