大原山西福寺は、福井県敦賀市の浄土宗寺院である。応安元年(一三六八)に良如が開創し、江戸時代末には、末寺は越前を中心に五三箇寺を数えた。
この文書は鎌倉時代後期から明治時代までの文書を含む。明徳元年(一三九〇)に後円融上皇、足利義持・義教等の祈願所となった際の院宣、御判御教書や、山内氏等の地元領主からの寄進状、斯波氏、朝倉氏、織豊政権からの禁制や安堵状、同寺所蔵『一切経勧進経』(いずれも大正三年重文指定)に関するものなど、その内容は豊富である。江戸時代に入ってからも藩から諸役を免除されてきたが、文化年間に負担を命ぜられた。しかし、これらの古文書によって先例を示し、免除の維持に成功した。
中世の浄土宗寺院文書がまとまって伝来する事例は少なく、西福寺文書は多くの研究に用いられてきた。我が国の政治史、経済史、文化史等の研究上、価値が高い文書群である。