興道寺廃寺跡 こうどうじはいじあと

史跡 社寺跡又は旧境内 / 縄文

  • 福井県
  • 奈良~平安
  • 福井県三方郡美浜町
  • 指定年月日:20180213
    管理団体名:
  • 史跡名勝天然記念物

北陸において,創建から廃絶に至るまで伽藍(がらん)の変遷が明らかとなった数少ない古代寺院であり,平成14年度から実施された継続的な発掘調査で金堂,塔,講堂,中門などの主要伽藍の状況と寺域などが明らかになった。伽藍配置は南面する法起寺(ほっきじ)式であり,金堂と塔の北側には講堂,南側には中門と南門が検出された。また寺域を限る溝などの検出により,その規模は西端付近で南北約118m,東西約80mと推定された。
金堂,塔の造営は7世紀後半から8世紀前半であるが,講堂は8世紀中頃の建立であり,その後,8世紀後半以前に塔の建て替えが行われ,8世紀後半~9世紀後半には金堂の建て替えと中門・南門が建立されるという伽藍造営の過程と変遷が明らかになった。
興道寺廃寺は7世紀後半に若狭(わかさ)国(のくに)三方郡(みかたぐん)の有力氏族により建立されたと考えられる。この時期は全国規模で郡司氏族による寺院造営が活発化したことが知られているが,興道寺廃寺は当該期の北陸において実態が判明した数少ない寺院の事例である。また,創建から廃絶に至るまでの伽藍の変遷が明らかになった希少な事例であり,古代寺院造営の在り方と,郡司氏族による仏教信仰の展開を知る上で重要である。

興道寺廃寺跡

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