延暦寺西塔所属寺院が共同で護持してきた大幅である。画面上部中央に天台大師智顗、向かって左に伝教大師最澄、右に慈覚大師円仁が、各々山中に置かれた曲彔の上で禅定に入る姿をあらわす。智顗が弥陀定印を結ぶことを除き、個々の祖師の図様は目立って特殊なものではない。延暦寺内では常行三昧堂に天台大師等の壁画があったと伝え、東塔法華三昧院の壁画には本像の三祖師を含む複数の祖師があらわされたという。遺品としても、慈恵大師良源を含む四祖師があらわされる中世の例はある。しかし、智顗・最澄・円仁の三祖師を一連の山岳景観中に配する図様構成で中世にさかのぼる作例は本像のほかには知られていない。
その思想的背景や用途は未詳であるが、寒色を中心とした自然景に明るい彩色の人物描写が映え、抑揚のついた彩色表現によって充実した画面を作り上げる。山岳は隆起した巌が複雑に入り組んだ形状で、これを大画面にまとめた筆者の手腕には見るべきものがある。礼拝対象をあらわすにあたり、穏やかさを保った岩や樹木からなる山岳景を画面の広範囲に展開する構成は、鎌倉時代後半の仏画・垂迹画に通底する傾向である。とりわけ水面上に斜めに隆起し、樹木の生える山岳中に尊像を描く構図や、その山岳を濃い緑色を中心に一部金泥で賦彩する彩色表現は、この時期に作例が多い豊かな自然景を伴う観音像の特徴と近似する。一方、画面上部に赤と金色で日輪をあらわし、虚空を青・白色で上下に塗り分ける表現は鎌倉時代後期から南北朝時代の垂迹曼荼羅に類例がある。また、衣にみる細かく柔らかな金泥文様と丁寧に施された彩色は鎌倉時代後半の特徴を示しつつ、その謹直さでは南北朝時代初頭の作例に類する。これらのことから、本像の制作時期は鎌倉時代末に置くことができる。既存の定形を踏襲したものでも、その後広く流布したのでもない、天台宗の祖師像として異例の図様構成を見せる本像は、鎌倉後期から南北朝初期にかけての仏画・垂迹画の展開を考える上で貴重な存在と言えよう。
以上、本像は中世にさかのぼる、類例稀な山岳景をともなう三祖師像の大幅として高く評価されるものである。