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三遊亭円朝像
Portrait of San''yutei Encho
1930年
絹本彩色・額 138.5×76.0cm
円朝像について、清方は「伝記を書く気で描いてゆけば、肖像画もまたやりがいのある仕事となる」といい、また「描く時には写真も参考にしたが、仕上げるに従ってそれを捨てて、目に残る俤(おもかげ)ばかりを追求」したという。このころ清方は、森鴎外の『渋江抽斎』などの伝記小説に強く惹かれ、人物の内面まで踏みこんで描くことに心血をそそいでいたのである。
円朝は明治の噺家(はなしか)として、江戸の風雅を解した通人であった。清方の父、條野採菊は幕末から明治初期にかけて、仮名垣魯文と並ぶほどの小説家であった。『東京日日新聞』の創刊に参画し、また、やまと新聞社の社長となった人である。採菊の親友に円朝や、浮世絵師の月岡芳年があり、円朝の人情噺に芳年の挿絵を掲載し、好評であった。採菊ははじめ清方少年を医者にさせようとしたが、円朝が絵の見込みがあるとすすめて、父も少年を芳年の弟子、水野年方に入門させることになったという。
《三遊亭円朝像》はそういう回想的な人物として描き、あくまでも心象の影像を絵画化することによって対象に迫ろうとした。主役をクローズアップさせるため、湯呑み、扇子、燭台といった小道具の配置に細心の注意がはらわれており、円朝の日や口もとは、噺の中に聞き手を引きこむ磁力にあふれた緊張感を示し、心のゆとりを、湯呑みに託しているかのようであり、端正な姿勢や、垂直の燭の炎も話し手と聴衆の緊密な張りを感じさせる。第11回帝展出品作。