本建築は、旧李王家別邸を継承して営まれた宿泊施設において、食堂・ホールとして建設されたものである。旧李王家別邸は、元は伊藤博文が明治29年(1896)に建築した別荘「滄浪閣」であり、関東大震災後の大正15年(1926)に、現存する木造主屋5棟が建設された。昭和26年(1951)5月に西武鉄道株式会社の所有となり、昭和27年(1952)に駐留軍関係者向けの宿泊施設「ホテル滄浪閣」を開業した。「ホテル滄浪閣」は、李王家別邸にトイレ・バスを設置するなどして客室とし、さらに西側に別館2棟、東海道寄りにホール棟を新築した。ホール棟の建設時期は、昭和27年(1952)11月撮影の航空写真では存在が確認できないこと、昭和28年(1953)11月14日の調理場等の火災の記事に「二十七年西武鉄道株式会社が買収、二階建ホール一棟を増築、観光ホテルとして経営していた」(『毎日新聞』昭和28年11月15日)とあることから、昭和27年(1952)11月から翌28年(1953)11月の間の竣工と判断できる。昭和30年(1955)頃とみられる写真(大磯町郷土資料館所蔵)では、敷地入口に「KAPAUN RELIGIOUS RETREAT HOUSE」とあり、昭和29年(1954)12月から昭和32年(1957)11月までEmil Kapaun牧師を偲ぶためリトリートセンターとして利用された。このうちホール棟は「DRIVE IN」の看板が掲げられ、また昭和30年代とみられる平面図(『大磯旅館滄浪閣平面』大磯町立図書館所蔵)によると、地階は食堂、1階はホールとして用いられた。西武鉄道株式会社は、昭和28年(1953)に大磯町国府本郷に「大磯ホテル」を開業、「ホテル滄浪閣」はその別館として経営され、遅くとも昭和41年(1966)までに北京料理の中華料理店として一般客向けに転じた(昭和41年『大磯町明細地図』湘南地図社)。長く町民に親しまれたが、平成19年(2007)に宿泊・飲食施設の営業を終了して民間事業者の所有となり、平成20年(2008)に大磯町有形文化財に指定された。平成29年(2017)に敷地・建物が国の所有となり、国土交通省の調査により、ホール棟は李王家所有時代のものではないことが判明した。このため、ホール棟を旧李王家別邸の建物と分けて、新たな価値基準で評価することとなった。