旧ホテル滄浪閣 ホール棟 1棟 きゅうほてるそうろうかく ほーるとう  いっとう

建造物 城郭建築 / 昭和以降

  • 神奈川県
  • 昭和 / 1952~1953
  • 木造2階建て(地上1階、地下1階)
    地下一部RC造(南側壁面)
  • 推定最高高さ:10.925m
    延床面積:214.17㎡(約64.78坪)
  • 1棟
  • 神奈川県中郡大磯町西小磯字稲荷松58番地
  • 大磯町指定
    指定年月日:20201218
  • 国土交通省関東地方整備局国営昭和記念公園事務所長
  • 有形文化財(建造物)

本建築は、旧李王家別邸を継承して営まれた宿泊施設において、食堂・ホールとして建設されたものである。旧李王家別邸は、元は伊藤博文が明治29年(1896)に建築した別荘「滄浪閣」であり、関東大震災後の大正15年(1926)に、現存する木造主屋5棟が建設された。昭和26年(1951)5月に西武鉄道株式会社の所有となり、昭和27年(1952)に駐留軍関係者向けの宿泊施設「ホテル滄浪閣」を開業した。「ホテル滄浪閣」は、李王家別邸にトイレ・バスを設置するなどして客室とし、さらに西側に別館2棟、東海道寄りにホール棟を新築した。ホール棟の建設時期は、昭和27年(1952)11月撮影の航空写真では存在が確認できないこと、昭和28年(1953)11月14日の調理場等の火災の記事に「二十七年西武鉄道株式会社が買収、二階建ホール一棟を増築、観光ホテルとして経営していた」(『毎日新聞』昭和28年11月15日)とあることから、昭和27年(1952)11月から翌28年(1953)11月の間の竣工と判断できる。昭和30年(1955)頃とみられる写真(大磯町郷土資料館所蔵)では、敷地入口に「KAPAUN RELIGIOUS RETREAT HOUSE」とあり、昭和29年(1954)12月から昭和32年(1957)11月までEmil Kapaun牧師を偲ぶためリトリートセンターとして利用された。このうちホール棟は「DRIVE IN」の看板が掲げられ、また昭和30年代とみられる平面図(『大磯旅館滄浪閣平面』大磯町立図書館所蔵)によると、地階は食堂、1階はホールとして用いられた。西武鉄道株式会社は、昭和28年(1953)に大磯町国府本郷に「大磯ホテル」を開業、「ホテル滄浪閣」はその別館として経営され、遅くとも昭和41年(1966)までに北京料理の中華料理店として一般客向けに転じた(昭和41年『大磯町明細地図』湘南地図社)。長く町民に親しまれたが、平成19年(2007)に宿泊・飲食施設の営業を終了して民間事業者の所有となり、平成20年(2008)に大磯町有形文化財に指定された。平成29年(2017)に敷地・建物が国の所有となり、国土交通省の調査により、ホール棟は李王家所有時代のものではないことが判明した。このため、ホール棟を旧李王家別邸の建物と分けて、新たな価値基準で評価することとなった。

旧ホテル滄浪閣 ホール棟 1棟

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