江戸
紙製の菓子器。箱書きによれば馬上盃形で、神楽丘不入(一七七一~一八五〇)が楮を六十回重ねて、柿渋を用いて作った。見込みには朱漆でさざれ蟹が数匹。俳句では夏の季語だがどんな菓子を入れたのだろう。廣海家の記録によれば、明治四十四年(一九一一)に、徳島県撫養の天羽家の旧蔵品を購入したとのこと。
一閑張中小棗及び袋 松平不昧在判
黒漆塗棗 宗旦在判
連珠文漆絵中棗 不昧好 狩野典信下絵 不昧在判