第一次大戦で最も凄惨な戦場となるフランス北東部の小都市ベルダンに、ドイツ軍が総攻撃を開始した一九一六年二月二十一日、鹿子木孟郎はマルセイユ港に到着している。彼にとっては三度目の渡仏である。
こうした不穏な情勢に戸惑うことなく、この留学で鹿子木は多くのことを学んでいる。戦争中も閉鎖されることのなかったアカデミー・ジュリアンでは、恩師ローランスと再会した。滞在中に、彼は何点かのパステル画を制作しているが、とりわけ教会や河のある風景を繰り返し描いた。
後年彼自身語っているのだが、この留学の最大の収穫は「絵画のコンポジション研究」にあったという。とくにものの陰影のとらえ方、光と影の間で揺れ動く色彩のありかたに興味をもったようだ。さまざまなモティーフを提供する田園風景は、画家にとってまさに格好のテーマとなったに違いない。 (荒屋鋪透)