大正四年の暮れ、鹿子木孟郎は郵船鹿島丸という船でフランスに出発した。南アフリカの喜望峰を経由して、マルセイユ港に無事到着したのは翌五年二月のこと。第一次世界大戦直前の航海は非常な危険をともない、二年間のフランス滞在も、戦時下の死を覚悟した留学であった。
なぜそのような時期に、鹿子木はあえてフランスに向かったのだろうか。ひとつには、当時の京都画壇における煩瑣な人間関係から逃れたいという欲求が考えられるが、なによりもまず彼自身の問題として、新しい画風を確立する必要を感じていたからにちがいない。
「教会」はそうした画家の意気込みを端的に表した作品。明るい印象派的な画面からは、留学以前に支配していた、どちらかというと暗い色彩によるリアリズム(写実主義)をこえて、筆跡を残しながら、自由に形態を把握する試みが伝わってくる。 (荒屋鋪透)