両隻にわたって、人々がありとあらゆる遊楽に打ち興じ、太平の世を満喫するさまが繰り広げられる。流麗な人物描写もさることながら、様々な遊楽を破綻なくまとめた構成力、見る者を引き込む細密描写とにより、本図は近世初期に描かれた妓楼遊楽図の中でも最も初発的な作品と位置づけられる。本図は、初代義直が母お亀の方(相応院・家康側室)の追福のために建立した相応寺に伝えられたことから、相応院の遺愛品であると唱えられてきたが、記録としては三代綱誠の十九男松平通温(一六九六-一七三〇)の遺愛品として寺に納められたことが判明している。