東大寺転害門 一棟
転害門は東大寺創立とともに造営された僧門の―つであって、東大寺の西築垣の北の門であり、また佐保路に面して建てられていることから、西北大門、佐保路門と呼ばれ、後には碾磑門、手掻門、転害門ともいわれるようになった。建立後、建久年間(一一九〇~九九)に大修理が行われたことが瓦銘から知られている。この修理によって組物の三斗組を出組に改め、桁を一重加えて棟高や軒の出を大きくしているが、本来の三間一戸の八脚門の形はなおそのままに残されており、両妻には奈良時代に盛行した二重虹梁蟇股の架構法をみることができる。内部は梁間二間のそれぞれに化粧屋根裏を現したいわゆる三棟造をなしている。この門は、奈良時代の八脚門として貴重なものであり、また創建時東大寺の数少ない遺構の―つである。その雄大な姿をみるとき、天平創立の東大寺の盛観をしのぶことができよう。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)