本燈籠は、興福寺南円堂の正面に建てられていた。鋳銅の円形燈籠で、台・基礎・竿・中台・火袋・笠などを別鋳してつくり、火袋と中台には鍍金を施している。現存する四枚の羽目板に鋳出された銘文は橘逸勢(たちばなはやなり)の筆と伝えられ、端麗にして格調の高い書体が古来有名である。南円堂は藤原内麻呂の発願で建立にかかり、弘仁三年(八一二)その死により、子の冬嗣がうけついで竣成した。銘文にみられる藤原朝臣公等は、弘仁七年(八一六)正四位下であった冬嗣の兄真夏と推定されている。燈籠火袋の扉二枚と羽目一枚を古くから欠失し、宝珠も昭和二十五年盗難にあっている。しかしよく整ったその姿は端正な美しさをあらわし、火袋格狭間や基礎の獅子の装飾をはじめ中台の蓮弁の意匠など、全体の構成と調和した見事な鋳技をみせている。なお、現在この燈籠は興福寺の宝物収蔵庫に収められている。