吉田中安全秋葉山常夜燈
よしだじゅうあんぜんあきはさんじょうやとう
民俗 有形民俗文化財 / 江戸
- 愛知県
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江戸後期 / 1805
- 本常夜燈は、下から基壇・基礎・竿・中台・火袋・笠・宝珠の各部位から成り、基壇以外は一石を整形。なお、基壇の一部・火袋・宝珠については昭和55年の再建の際の復元。形態的には、笠・火袋・中台・基礎が六角形となる六角石燈籠(春日燈籠)に類し、常夜燈としては竿部分が樽形となる仏前型に分類。また、復元を除く各部位の石材は、やや粒子が粗く色味かかった花崗岩が使われており、その特徴や受注した石工「細川石屋」の記録などから、岡崎市北部の細川地区周辺で産出される伊奈川式花崗岩と考えられる。
- 基壇最下段は一辺2.72m、各段の高さは0.3m程で、総高0.91m。基壇最上段は、一辺1.62m、高さ0.34mの方形。この上には、高さ0.54m、一辺0.7mの六角形に整形された基礎が乗る。竿は、高さ1.12m、最大径は0.82mである。中台は、高さ0.37m、一辺0.58mの六角形。火袋は高さ0.7mの復元。笠は高さ0.6m、一辺0.85m程。宝珠は高さ0.45mで、宝珠と請花が復元。復元された各部位を含めた常夜燈の総高は5.03mである。
- 1基
- 愛知県豊橋市八町通五丁目地内
- 豊橋市
- 有形民俗文化財
本常夜燈は、文化2年(1805)に吉田城東惣門に近い今新町(現西新町)の東海道から本坂通への分岐点に建立。建立の理由は明確ではないが、吉田城下での度重なる大火に対する安全祈願と考えられる。明治24年(1891)の濃尾地震の際には一度倒壊したが、すぐに復旧。しかし、東南海地震(1944)と三河地震(1945)によって完全に倒壊すると、長く放置。その後、地元の熱意や寄付によって昭和55年(1980)に豊橋公園内に再建され、平成13年(2001)からは本来の場所に近い現在地に移転している。
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