法衣の後襟を高く三角状にたてた、いわゆる僧綱領【えり】とし、袈裟を着け、横被【おうひ】を背中から右肩にかけて膝前にたらし、左手に経巻、右手に笏(持物各後補)を執って坐る、日蓮説法御影像である。
檜材を用いた寄木造で、両眼に水晶製の玉眼を嵌入、表面は全面に布を貼り、サビ漆で地固めし、黒漆塗の上賦彩。袈裟や横被の牡丹・菊花唐草文や羯摩・輪宝文は胡粉盛上金箔押しとしている。
その堅実な技法や丁重な賦彩は、明らかに都での製作を物語っており、安定感のある姿態の造形、着衣の自然な処理などに鎌倉期造像の特色が認められるが、その張りのある面貌表現には祖師像として理想化の傾向があらわれており、鎌倉時代も末期の作とみるのが妥当であろう。
日蓮宗における格別の祖師信仰は、その在世時から日蓮御影の造像を促し、この宗の発展に伴ってその遺例は夥しい数にのぼるが、その古例は意外に少なく、千葉・浄光院、静岡・妙法華寺の画像の他、東京・本門寺の木彫像一躯が鎌倉時代に遡る作として重要文化財に指定されているにすぎない。
本門寺像は、像内銘により日蓮七回忌にあたる正応元年(一二八八)に造立されたことが知られる基準作であるが、法衣のみで袈裟を表わさずに、実物の袈裟をまとわせる、いわゆる着装像として造られたもので、やや特異な遺例といわねばならない。
これに対して、本像のように袈裟と横被をかける形姿のものは、この種の説法形式像はもとより法華経を開き持つ読経形式像を含めて、後世ほとんど定型化されており、本像はその秀れた先駆的作例として注目される。