六牙の白象の背に坐って合掌する通形の普賢菩薩像で、現在、妙法院普賢堂(本堂)の本尊として祀られている。
本体はヒノキ材製の割矧造になり、頭体幹部を通して一材より彫出、両耳後を通る線で前後に割り離して内刳を施したのち割首を行う。髻、両肩以下(両上膊・前膊・手首各別材製)、両足部、両膝奥等をそれぞれ別材矧付とする。表面は錆下地で肉身部は白肉色に彩り、衣部は漆箔を施した上に彩色文様を描き、条帛に楕円形の団花文、天衣に立涌文を地文として団花文、裙には田字入斜格子文(か)を地文に丸文、腰帯に花菱繋文が認められる。
象は同じくヒノキ材製で、頭部は鼻先まで含み一材より彫り、いったん前後に割って口腔を彫ったのち矧ぎ合わせ、胴部は上下左右四材製(内刳)とし、四肢(前肢は各左右二材製、後肢は各一材製)や各所の突出部等を矧ぐ。表面は錆下地で白肉色に彩り、障泥は内区に丸文繋文、外区に半切花菱文をそれぞれ彩色で表す。
小振りにまとめた垂髻、なで肩で膝の薄い体型や各部のなだらかな肉取りなど、その形制と表現は藤原風を基調とし、おだやかで優美な姿にまとめられているが、衣文線の太さや深浅に一部変化が加わるあたりに次代の風が現れている。着衣形式では腰布の上にさらに帯状の布を巻く点が、宋仏画や図像等に学んだ新しい要素とみられる。背中をやや丸めて合掌する姿態の把握が的確で、組んだ足の指先まで狂いのない象形をみせ、柔らかく細かに刻み出す髪筋など細部の彫り口にも高い技量が認められる。
象は右肢を半歩踏み出す動きを表し、抑揚のある肉付けや生々しい皮膚の質感表現に生彩がある。
総じて本像の、定朝様の繊細化のうちに写実を加味した作風には、安元二年(一一七六)ころ、明円作の京都・大覚寺五大明王像や、院尊作かとみられる同・長講堂阿弥陀如来及両脇侍坐像(いずれも重文)のような、平安時代末期から鎌倉時代にかかるころの京都仏師の手になる作品と共通するものが看取される。しかもそれらにひけをとらない出来映えを示しているところからみれば、作者には当代一流の仏師が想定されよう。
近世以前の伝来が不明なものの、法住寺殿の旧地に伝わり、かつ優れた作行をみせる本像は後白河法皇関係の造仏である可能性が高い。後補部は本体の天衣遊離部・腰帯結び部・裳先、象の両耳後半・牙・尾、光背、蓮華座、框座など。本体および象は保存良好で、黒変するが彩色文様もよく残っており、院政期普賢菩薩像の優品として推賞される。