浄土寺多宝塔 一基
多宝塔は正中二年(一三二五)の火災で焼失したが、元徳元年(一三二九)に再建された。のち明応四年(一四九五)瓦葺替、元禄元年(一六八八)相輪取り替え、享保十七年(一七三二)縁廻り修理(高欄はこの時初めて設けられたと記されている)などを経て、昭和十一年に解体修理が行われた。
この塔婆は多宝塔として全体の釣合がよく、蟇股、花肘木、木鼻そのほかの細部も旧材を残しており、その整った容姿及び手法は、鎌倉時代後期の代表的な建築である。なお、相輪内には、建立にあたって結縁書写した法華経などが多数納入されていた。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)