南蛮人渡来図は景観内容の上で三種類に分類されるが、本図は左隻に異国の港を出帆する南蛮船を、右隻に日本の港での荷揚げを描く、第二類型の代表的作例である。
本図に登場する南蛮船の形は、実際の洋式帆船にさほど忠実に描いていない作例が大多数のなかにあって、比較的正確であるとされている。右隻右方のキリスト教館では、聖像を飾る祭壇に向かって司祭が聖餅を捧げ持ち、ミサの場面を描いている。南蛮人の服飾においては、盛り上げの技法を用いて厚手の衣服を表現し、あるいは光沢のある墨を用いて、ビロードのような特殊な布地を表そうとする。建築の細部にも用いられる、工芸的ともいえる細緻な表現は、本図の大きな特色といえよう。
他の風俗画作例同様、南蛮人渡来図は無款の作品がほとんどであるため、筆者はおろか流派を特定することも難しい。そのなかにあって、本図は狩野内膳(一五七〇~一六一六)の作であることがわかる点で、貴重である。
両隻に「狩野内膳筆」の款記をもつ本図の制作時期は、内膳号をもってから没年の元和二年までの間である。内膳号の使用開始は『丹青若木集』によれば天正十五年(一五八七)、一八歳の時であるが、二一歳以降であることを示唆する作品もある。いずれにしろ、本図のより厳密な制作時期を知ることは、現状では難しい。慶長十一年(一六〇六)に豊国社に奉納された「豊国祭図」(重要文化財)は内膳の基準作であるが、本図との間には主題・作風ともにかなりの懸隔がある。あえて両者を比較するならば、「豊国祭図」の方がどちらかといえば古様であることから、本図は慶長後半期頃の作となろう。
北村本とならぶ南蛮美術の代表作品として、また、作者のわかる希有な作例として、高く評価される作品である。